実際に入院した脳神経外科の病棟は9階だった。
初めて入った病室はドラゴンボールに出てくる精神と時の部屋に似ていた。
棚やテレビ、機械とかを除いて全てが真っ白。
カーテンはクリーム色だったけど、部屋の白さのインパクトが強くて、入ったときにはわからなかった。
窓から見える風景は朝6のお天気カメラと同じだったことに感動したことを覚えている。
入院すると、患者さんや看護婦の方と仲良くなっていく。
そのなかでも、同じ病室に大学生ぐらいの年齢の人がいた。
本名は出せないが、その人は年齢も近いことがあって、よく話した。
そして、その人に入院している友人を教えてもらった。
3つぐらい隣の女性病棟に平然と入って行き、窓側に寝ている女性に話しかける
見た瞬間にショックを受けた。
すごくキレイな人だった。けど、髪の毛がないのかベリーショートにしているせいなのか、頭に赤いバンダナをつけ、医療用の白いマスクをつけていた。
なによりも、顔が絵の具のように真っ白だった。
行動や生活ぶりからは病人らしさは微塵も感じさせないほど、元気な人だった。
自分の持っていたカセットテープを貸したりだとかしてた。
自分が退院してから、まるっきり交流はないので、今何をしているかは知らない。
でも、知り合いが全くいない環境でこの2人がいたことが大きな支えになっていたのはまぎれもない事実。
いつか会ったら、お礼が出来たら良いなぁ。
初めて入った病室はドラゴンボールに出てくる精神と時の部屋に似ていた。
棚やテレビ、機械とかを除いて全てが真っ白。
カーテンはクリーム色だったけど、部屋の白さのインパクトが強くて、入ったときにはわからなかった。
窓から見える風景は朝6のお天気カメラと同じだったことに感動したことを覚えている。
入院すると、患者さんや看護婦の方と仲良くなっていく。
そのなかでも、同じ病室に大学生ぐらいの年齢の人がいた。
本名は出せないが、その人は年齢も近いことがあって、よく話した。
そして、その人に入院している友人を教えてもらった。
3つぐらい隣の女性病棟に平然と入って行き、窓側に寝ている女性に話しかける
見た瞬間にショックを受けた。
すごくキレイな人だった。けど、髪の毛がないのかベリーショートにしているせいなのか、頭に赤いバンダナをつけ、医療用の白いマスクをつけていた。
なによりも、顔が絵の具のように真っ白だった。
行動や生活ぶりからは病人らしさは微塵も感じさせないほど、元気な人だった。
自分の持っていたカセットテープを貸したりだとかしてた。
自分が退院してから、まるっきり交流はないので、今何をしているかは知らない。
でも、知り合いが全くいない環境でこの2人がいたことが大きな支えになっていたのはまぎれもない事実。
いつか会ったら、お礼が出来たら良いなぁ。
それから数日後、札幌医科大学附属病院に両親といった。
重大な病気である事は自覚していたのだが、いや、自覚してなかったからなのかな。あまりにも、あっけらかんとしていた。
両親のこわばった顔とは対称的に。
病院が見えた時、単純にびっくりした。
たしか12階建てだったその建物は、「市」といっても田舎同然のところに住んでいる自分にとっては、あまりにも大き過ぎた。
新鮮な驚きだった。まるで、修学旅行に来ている気分だった。
で、実際に診察を受けた。それは今まで受けた診察や検査と同様のことをやるだけだった。別に大きな変化があるわけじゃない。
まぁ、血液検査がちょっと怖かったかな、ぐらいだ。
診察終了後、3人で診察結果を聞く、
はずだった。
医師から診察結果を言われる直前に、部屋から出るようにいわれた。
当時の自分はあまりにも無知過ぎた。
でも、頭がカラッポな男でも、『自分だけ結果を知らされず、両親だけが聞く。』このことがどういう事を意味するのかが充分に理解できた。
相変わらず楽天的だったから、本当はあんまりわかっていなかったのかもしれない。
でも、入院して治療とか手術とかする事は簡単にわかった。
恐怖でもない、不安でもない、かといって楽しみでもない、喜びでもない、
なんとなく感じた浮遊感はなんだったのだろう、
今振りかえって思う。
診察から数日経った4月2日、自分は入院する事になった。
(まだ終わりません。いつまで続くんだろう)
重大な病気である事は自覚していたのだが、いや、自覚してなかったからなのかな。あまりにも、あっけらかんとしていた。
両親のこわばった顔とは対称的に。
病院が見えた時、単純にびっくりした。
たしか12階建てだったその建物は、「市」といっても田舎同然のところに住んでいる自分にとっては、あまりにも大き過ぎた。
新鮮な驚きだった。まるで、修学旅行に来ている気分だった。
で、実際に診察を受けた。それは今まで受けた診察や検査と同様のことをやるだけだった。別に大きな変化があるわけじゃない。
まぁ、血液検査がちょっと怖かったかな、ぐらいだ。
診察終了後、3人で診察結果を聞く、
はずだった。
医師から診察結果を言われる直前に、部屋から出るようにいわれた。
当時の自分はあまりにも無知過ぎた。
でも、頭がカラッポな男でも、『自分だけ結果を知らされず、両親だけが聞く。』このことがどういう事を意味するのかが充分に理解できた。
相変わらず楽天的だったから、本当はあんまりわかっていなかったのかもしれない。
でも、入院して治療とか手術とかする事は簡単にわかった。
恐怖でもない、不安でもない、かといって楽しみでもない、喜びでもない、
なんとなく感じた浮遊感はなんだったのだろう、
今振りかえって思う。
診察から数日経った4月2日、自分は入院する事になった。
(まだ終わりません。いつまで続くんだろう)
自分はバスで通勤している。行きもバスなら、帰りも当然バス。
今日、仕事が終わりバスに乗った。
帰りのバスの中では、目的地に着くまで寝ているか、本を読んでいる。
今日は村山由佳さんの『晴れときどき猫背』を取り出す。
後少しで読み終わるところだ。
乗って、ケイタイの電源を消し、夢中になって読む。
内容や感想ではここでは書かないが、時間を忘れるくらい夢中で読んだ。
今、どこを走っているのかさえわからないほどに。
程なくして、後書きも全部読み終えたところで、ふと顔を上げた。
窓から見える夕焼けはあまりにも美し過ぎた。
オレンジ色の背景に無数の雲が広がり、影を映し出す。
まるで、ラムネのブルーハワイのような青とオレンジが混ざり合って、紫色の美しい空を奏でる。
白と灰色とオレンジと青のコントラストとグラデーションは一瞬の美しさを創り出した。
何気なく見た空で自分は感動してしまった。
こういうふうに空を見て感動する事って、そうそうあることじゃない。
でも、そういうことを感じる心って、他の人たちは持っているだろうか。
すごく贅沢な、一瞬の芸術品が目の前にあるのに、こんなに身近にあるのに、それに対して目を向けている人はいなかった。(少なくともバスの中には)
単純な理由で感動できるっていうのはすごく幸せな事だと思う。
深く考えずに素晴らしいものに『素晴らしい』って言える。これほど幸せな事はない。
高校生の頃、部活が終わって遅くなると、帰り道の途中にあった跨せん橋を自転車で駆け上がって、てっぺんから眺める風景が楽しみだった。
夕焼けに映る建物だったり、暗闇の中で照らされる街灯だったり。
それは自分だけの楽しみだった。
なんて言えば良いかわからないけど、良いものに対して心から賞賛できる、この何気ない事が大事なんじゃないかなと思っている。
何かに生かすとか、スキルアップとか、そういうレベルじゃなく、それ以前の、人間として当たり前の部分。
とにかく、そういうことなんだと思う。
今日、仕事が終わりバスに乗った。
帰りのバスの中では、目的地に着くまで寝ているか、本を読んでいる。
今日は村山由佳さんの『晴れときどき猫背』を取り出す。
後少しで読み終わるところだ。
乗って、ケイタイの電源を消し、夢中になって読む。
内容や感想ではここでは書かないが、時間を忘れるくらい夢中で読んだ。
今、どこを走っているのかさえわからないほどに。
程なくして、後書きも全部読み終えたところで、ふと顔を上げた。
窓から見える夕焼けはあまりにも美し過ぎた。
オレンジ色の背景に無数の雲が広がり、影を映し出す。
まるで、ラムネのブルーハワイのような青とオレンジが混ざり合って、紫色の美しい空を奏でる。
白と灰色とオレンジと青のコントラストとグラデーションは一瞬の美しさを創り出した。
何気なく見た空で自分は感動してしまった。
こういうふうに空を見て感動する事って、そうそうあることじゃない。
でも、そういうことを感じる心って、他の人たちは持っているだろうか。
すごく贅沢な、一瞬の芸術品が目の前にあるのに、こんなに身近にあるのに、それに対して目を向けている人はいなかった。(少なくともバスの中には)
単純な理由で感動できるっていうのはすごく幸せな事だと思う。
深く考えずに素晴らしいものに『素晴らしい』って言える。これほど幸せな事はない。
高校生の頃、部活が終わって遅くなると、帰り道の途中にあった跨せん橋を自転車で駆け上がって、てっぺんから眺める風景が楽しみだった。
夕焼けに映る建物だったり、暗闇の中で照らされる街灯だったり。
それは自分だけの楽しみだった。
なんて言えば良いかわからないけど、良いものに対して心から賞賛できる、この何気ない事が大事なんじゃないかなと思っている。
何かに生かすとか、スキルアップとか、そういうレベルじゃなく、それ以前の、人間として当たり前の部分。
とにかく、そういうことなんだと思う。
1ヶ月くらい入院したのにも関わらず、ろくに検査も行なわれずに退院した。
このとき、自分の中では『ただの事故でそんなに大きな問題じゃないんだな』という認識であった。
それから、自宅に戻り、普通に生活をしていた。
ちょっとだけ勉強をして、長い時間遊んで、寝るというサイクルを繰り返していた。
普通の中学生の生活を続けていたのだが、
悪夢は突然やってきた。
ある日、家族と居間でテレビを見ていた。
そこでは、他愛もない会話がある。
自分もしゃべっていた。
突然声が出なくなった。
考えている事もあるし、話そうとしている。
でも、声が出ない。
いや、声の出し方を忘れてしまったような感覚に陥った。
小学校の理科の実験で使う空気鉄砲の弾が詰まった感じなのだ。弾をパイプの先に入れ、反対側から空気の圧力を掛ける事によって、弾が飛ぶ。空気についての勉強をするための教材キットだ。
さっきの空気鉄砲の発射の原理が声が出る状態だとすれば、自分の声の出ない状態はどんなに圧力を掛けても、弾が発射されずに中の空気が抜けていくような感じなのだ。
数分後、元に戻り、普通に話す事が出来るようになったが、
しかし、自分も家族も危機感を感じずにはいられなかった。
数日後に脳外科の専門病院で検査を受けた。
血液検査から脳波検査、MRIという磁気を使って、脳の状態を調べる検査まで、午前中から夕方まで検査をやった。
そして出た結論は『脳腫瘍の疑いがあるので、札幌医大のほうへ行って見て下さい』というような内容だったと思う。
とにかく、そういうことだった。
前の病院が、あまりにも自分に対して無関心過ぎたのがおかしいくらいの状態だったそうだ。
MRI検査はレントゲンのような感じで、頭の中を調べられる。
その検査で出来た写真を見てびっくりした。
脳の中に明らかに異物があったのだ。
どの位置にあったかは忘れてしまったが、あのインパクトは忘れてはいない。
とにかく、札幌へ行かなくては行けない理由は充分過ぎるほどわかった。
いや、理解させられた、という表現が正しいのだろう。
3学期の終業式が終わって、数日後に札幌へ向かう事になった。
(まだつづきます)
このとき、自分の中では『ただの事故でそんなに大きな問題じゃないんだな』という認識であった。
それから、自宅に戻り、普通に生活をしていた。
ちょっとだけ勉強をして、長い時間遊んで、寝るというサイクルを繰り返していた。
普通の中学生の生活を続けていたのだが、
悪夢は突然やってきた。
ある日、家族と居間でテレビを見ていた。
そこでは、他愛もない会話がある。
自分もしゃべっていた。
突然声が出なくなった。
考えている事もあるし、話そうとしている。
でも、声が出ない。
いや、声の出し方を忘れてしまったような感覚に陥った。
小学校の理科の実験で使う空気鉄砲の弾が詰まった感じなのだ。弾をパイプの先に入れ、反対側から空気の圧力を掛ける事によって、弾が飛ぶ。空気についての勉強をするための教材キットだ。
さっきの空気鉄砲の発射の原理が声が出る状態だとすれば、自分の声の出ない状態はどんなに圧力を掛けても、弾が発射されずに中の空気が抜けていくような感じなのだ。
数分後、元に戻り、普通に話す事が出来るようになったが、
しかし、自分も家族も危機感を感じずにはいられなかった。
数日後に脳外科の専門病院で検査を受けた。
血液検査から脳波検査、MRIという磁気を使って、脳の状態を調べる検査まで、午前中から夕方まで検査をやった。
そして出た結論は『脳腫瘍の疑いがあるので、札幌医大のほうへ行って見て下さい』というような内容だったと思う。
とにかく、そういうことだった。
前の病院が、あまりにも自分に対して無関心過ぎたのがおかしいくらいの状態だったそうだ。
MRI検査はレントゲンのような感じで、頭の中を調べられる。
その検査で出来た写真を見てびっくりした。
脳の中に明らかに異物があったのだ。
どの位置にあったかは忘れてしまったが、あのインパクトは忘れてはいない。
とにかく、札幌へ行かなくては行けない理由は充分過ぎるほどわかった。
いや、理解させられた、という表現が正しいのだろう。
3学期の終業式が終わって、数日後に札幌へ向かう事になった。
(まだつづきます)
私は脳腫瘍だった
上の漢字3文字をどう読むのか、
私はこの病気にかかるまで、この字を全く見た事がなかったし、見ても読めなかったと思う。
脳腫瘍(のうしゅよう)
通称 頭のガン
名前の通り、脳内に腫瘍が出来る病気。これによって、言語障害などの後遺症などが出る可能性があるとても危険な病気である。
細かくは自分でもわかっていないのだが、『頭のガン』と呼ばれているように、無知な人でも危険だとわかる病気だ。
自分はその脳腫瘍に掛かり、腫瘍を除去するために手術をした事がある。
症状が出たのが、中1の冬休み初日だった。
朝早くに起き、アニメを見たあと、また寝た。
そして、午前10時。また起きた。
さすがに眠くはなかったので、洗面所で顔を洗おうとした。
洗おうとした。
洗おうとしたのだが・・・。
気がついた時には、とある病院内にある救急センターにいた。
裸同然の格好でベッドらしき物の上で横になっていた。
なぜ?
なんで俺、こんなところで寝っ転がってんだろう。
何、この格好。
ていうか、ここどこ?
自分の中にある『?』はよそに、自分は入院する事になった。
このせいで、自分の冬休みはふいになった。
(つづきます)
上の漢字3文字をどう読むのか、
私はこの病気にかかるまで、この字を全く見た事がなかったし、見ても読めなかったと思う。
脳腫瘍(のうしゅよう)
通称 頭のガン
名前の通り、脳内に腫瘍が出来る病気。これによって、言語障害などの後遺症などが出る可能性があるとても危険な病気である。
細かくは自分でもわかっていないのだが、『頭のガン』と呼ばれているように、無知な人でも危険だとわかる病気だ。
自分はその脳腫瘍に掛かり、腫瘍を除去するために手術をした事がある。
症状が出たのが、中1の冬休み初日だった。
朝早くに起き、アニメを見たあと、また寝た。
そして、午前10時。また起きた。
さすがに眠くはなかったので、洗面所で顔を洗おうとした。
洗おうとした。
洗おうとしたのだが・・・。
気がついた時には、とある病院内にある救急センターにいた。
裸同然の格好でベッドらしき物の上で横になっていた。
なぜ?
なんで俺、こんなところで寝っ転がってんだろう。
何、この格好。
ていうか、ここどこ?
自分の中にある『?』はよそに、自分は入院する事になった。
このせいで、自分の冬休みはふいになった。
(つづきます)
昔は人間不振だったが、小学生の時に初めて好きな人ができた。
初めて出会ったのが、3年生の時だった。
ちょうど後ろの席がその人の席で、始業式の日からずっと好きだった。
別に、告白をしたとか、手を繋いだとかはなかった。1回だけ、その人のうちの部屋に入ったことはあったけど。
初めて入った時は本当に別世界だったのを覚えている。
調理実習の準備のために、他の班員と一緒に打ち合わせをしたり、遊んだりしていた。
内容は女の子同士でやるようなことだ。
占いとか、そこらへんの。
でも、違和感とか、居心地の悪さはなかった。
むしろ、居場所があるような気がした。
心の少しでも、『自分』の存在が認められていることが本当に嬉しかった。
今では、会う事も連絡をとることもなくなったが、本当に良い思い出として、心に残っている。
幼い頃の数少ない良い思い出だ。
で、それから誰かに恋愛感情を持つ事はなくなった。
なぜかはわからない。
はっきり言うと、『恋愛感情』を忘れてしまったのかもしれない。
自分も普通の人と同じように、誰かを好きになったり、手を繋いだり、デートしたりしたい。
彼女ができないからといって、興味がないわけじゃないのだが。
初めて出会ったのが、3年生の時だった。
ちょうど後ろの席がその人の席で、始業式の日からずっと好きだった。
別に、告白をしたとか、手を繋いだとかはなかった。1回だけ、その人のうちの部屋に入ったことはあったけど。
初めて入った時は本当に別世界だったのを覚えている。
調理実習の準備のために、他の班員と一緒に打ち合わせをしたり、遊んだりしていた。
内容は女の子同士でやるようなことだ。
占いとか、そこらへんの。
でも、違和感とか、居心地の悪さはなかった。
むしろ、居場所があるような気がした。
心の少しでも、『自分』の存在が認められていることが本当に嬉しかった。
今では、会う事も連絡をとることもなくなったが、本当に良い思い出として、心に残っている。
幼い頃の数少ない良い思い出だ。
で、それから誰かに恋愛感情を持つ事はなくなった。
なぜかはわからない。
はっきり言うと、『恋愛感情』を忘れてしまったのかもしれない。
自分も普通の人と同じように、誰かを好きになったり、手を繋いだり、デートしたりしたい。
彼女ができないからといって、興味がないわけじゃないのだが。
今はないのだが、高校生の時まで
大きな声がすると、
『自分の悪口を言われているのではないか』
『自分をバカにして面白がっているのではないか』
という、不安に駆られることが多かった。
全然関係のない話でも、ちょっとしたことでもすぐにそういう症状がでた。
下校中、体育の授業中、放課後、部活中、休み時間、プライベートな時間にいたるまで、
自分の休まるような場所はなかった。
このような症状は自分が小中学校にいっていた頃にいじめを受けていたことが原因だ。
高校の頃は多少いじられキャラではあったが、それほど気になるようなことではなく、むしろコミュニケーションをとるための1つの方法であった。
しかし、小学校や中学校にいた頃は生きることに疲れていたように思える。
もちろん、クラスには自分の居場所はない。
精神的にも肉体的にもかなり参ってしまった。
思い出したくもないし、2度と関わりが無いように願っている。
中学までのつながりしかなければ、無視するか、思い出せないフリをしている。
これからの自分にとって、あの過去はただのゴミでしかない。
あの学校生活は単なる無駄な時間でしかなかったと思う。
人には光と影がある。
自分は今はちゃんと光と影のコントラストがあると思っている。
でも、昔は無かった。
全身が真っ黒になるぐらい、恨みと憎しみに溢れていた。
どうやってあいつらを困らせようか
どうやってあいつらを傷つけようか
どうやってあいつらを殺そうか
どうやって・・・・・・
どうやって・・・・・・
いじめによって、完全に精神が崩壊していた。
今考えてみると、本当にやばかったと思う。
自殺をしていたか、人を殺していたか、そこまで行かなくてよかったと思えるぐらい、
完全に壊れていた。
感情や自分自身が壊れたことで、中学の時にある事件を起こした。
当時、美術の授業で、ニードルという、長さ2cm、太さが最大3mmぐらいの針のようなものを使っていた。
もちろん、危険なものなので生徒に支給するのではなく、学校に保管されているものを使用していた。
授業が終わるたびに回収し、絶対に外に出ることは無かった。
しかし、そのありえないことが現実に起こった。
いや、起こした、という言い方が正しいのかもしれない。
ある日の美術の授業が終わったあと、自分だけ、ニードルを戻さなかった。
回収しても、数えることも無いため、先生も把握はしていなかったと思う。
そして放課後。
当時は学校祭の準備でみんなが忙しかった。
自分は全く別のことで頭がいっぱいだった。
当時、自分を良くからかっていたやつに、ニードルを向け、右腕の肘の裏に刺してしまった。
頭が真っ白になった。
すぐにそいつの友人に殴られた。
自分はしばらく、いたがるそいつの様子を見てから家に帰った。
別に謝ろうとか、後悔しているというわけではない。
あれは事故だし、自分を守るために出た歯止めの効かない仕方ないことだったと思う。
今、振り返ると、
『犯罪を犯した少年って、こんな気持ちになるんだろうか』って思う。
話は変わるが、少年犯罪ってよく言われるのが
『親が悪い』だの、『学校が悪い』だの、『周辺住民が悪い』だのいっているけれど、
そんなの、無いに決まってる。
本当に悪いのは本人だけ。
それを悪いと思って反省するのも、全然悪い事はしてませんって言い張るのも自分。
開き直るのも自分だし、ひたすら後悔するのも自分。
それに対して、周りの人は事の重大さを説明し、反省するように仕向けることしかできない。
事が起こってからでは遅い。
しかし、周りがどんなことをしても、結局は本人の問題だ。
自分がああいうことをしてしまったのも、
いろいろと報道されている少年犯罪も、
結局は同じような気がする。
心の知能って言えばいいのかわからないけど、
とにかく、何か重大な部分が欠けているからこういうことが起こると思う。
もし、自分がいた頃のような中学校の環境が大きく変わっていなければ、
自分の町で悲惨な事件が起こるのも時間の問題のような気がする。
大きな声がすると、
『自分の悪口を言われているのではないか』
『自分をバカにして面白がっているのではないか』
という、不安に駆られることが多かった。
全然関係のない話でも、ちょっとしたことでもすぐにそういう症状がでた。
下校中、体育の授業中、放課後、部活中、休み時間、プライベートな時間にいたるまで、
自分の休まるような場所はなかった。
このような症状は自分が小中学校にいっていた頃にいじめを受けていたことが原因だ。
高校の頃は多少いじられキャラではあったが、それほど気になるようなことではなく、むしろコミュニケーションをとるための1つの方法であった。
しかし、小学校や中学校にいた頃は生きることに疲れていたように思える。
もちろん、クラスには自分の居場所はない。
精神的にも肉体的にもかなり参ってしまった。
思い出したくもないし、2度と関わりが無いように願っている。
中学までのつながりしかなければ、無視するか、思い出せないフリをしている。
これからの自分にとって、あの過去はただのゴミでしかない。
あの学校生活は単なる無駄な時間でしかなかったと思う。
人には光と影がある。
自分は今はちゃんと光と影のコントラストがあると思っている。
でも、昔は無かった。
全身が真っ黒になるぐらい、恨みと憎しみに溢れていた。
どうやってあいつらを困らせようか
どうやってあいつらを傷つけようか
どうやってあいつらを殺そうか
どうやって・・・・・・
どうやって・・・・・・
いじめによって、完全に精神が崩壊していた。
今考えてみると、本当にやばかったと思う。
自殺をしていたか、人を殺していたか、そこまで行かなくてよかったと思えるぐらい、
完全に壊れていた。
感情や自分自身が壊れたことで、中学の時にある事件を起こした。
当時、美術の授業で、ニードルという、長さ2cm、太さが最大3mmぐらいの針のようなものを使っていた。
もちろん、危険なものなので生徒に支給するのではなく、学校に保管されているものを使用していた。
授業が終わるたびに回収し、絶対に外に出ることは無かった。
しかし、そのありえないことが現実に起こった。
いや、起こした、という言い方が正しいのかもしれない。
ある日の美術の授業が終わったあと、自分だけ、ニードルを戻さなかった。
回収しても、数えることも無いため、先生も把握はしていなかったと思う。
そして放課後。
当時は学校祭の準備でみんなが忙しかった。
自分は全く別のことで頭がいっぱいだった。
当時、自分を良くからかっていたやつに、ニードルを向け、右腕の肘の裏に刺してしまった。
頭が真っ白になった。
すぐにそいつの友人に殴られた。
自分はしばらく、いたがるそいつの様子を見てから家に帰った。
別に謝ろうとか、後悔しているというわけではない。
あれは事故だし、自分を守るために出た歯止めの効かない仕方ないことだったと思う。
今、振り返ると、
『犯罪を犯した少年って、こんな気持ちになるんだろうか』って思う。
話は変わるが、少年犯罪ってよく言われるのが
『親が悪い』だの、『学校が悪い』だの、『周辺住民が悪い』だのいっているけれど、
そんなの、無いに決まってる。
本当に悪いのは本人だけ。
それを悪いと思って反省するのも、全然悪い事はしてませんって言い張るのも自分。
開き直るのも自分だし、ひたすら後悔するのも自分。
それに対して、周りの人は事の重大さを説明し、反省するように仕向けることしかできない。
事が起こってからでは遅い。
しかし、周りがどんなことをしても、結局は本人の問題だ。
自分がああいうことをしてしまったのも、
いろいろと報道されている少年犯罪も、
結局は同じような気がする。
心の知能って言えばいいのかわからないけど、
とにかく、何か重大な部分が欠けているからこういうことが起こると思う。
もし、自分がいた頃のような中学校の環境が大きく変わっていなければ、
自分の町で悲惨な事件が起こるのも時間の問題のような気がする。
はじめまして。
2003年8月12日どうも。
私はネットではBlueRadioと名乗っております。
ここでは、適当に、まじめに、本気に、自分の考え方やいろんな物を出して行きたいと思います。
ただ、毎日更新しませんし、気が向いたときに書きこむつもりです。
たまに見ていただければそれでけっこうですし。
自分の考え方について、共感してもしなくても、それはそれぞれが思っていただければいいですし。
何か考えるようなことがあれば、それは喜ばしいことだと思っています。
とにかく、よろしくお願いします。
私はネットではBlueRadioと名乗っております。
ここでは、適当に、まじめに、本気に、自分の考え方やいろんな物を出して行きたいと思います。
ただ、毎日更新しませんし、気が向いたときに書きこむつもりです。
たまに見ていただければそれでけっこうですし。
自分の考え方について、共感してもしなくても、それはそれぞれが思っていただければいいですし。
何か考えるようなことがあれば、それは喜ばしいことだと思っています。
とにかく、よろしくお願いします。